古都京都の南に位置する伏見は、かつて「伏水(ふしみ)」とも記されたほど、良質な地下水に恵まれた水の都です。この清らかな水こそが、伏見を日本有数の酒どころへと押し上げた最大の要因です。今回は、その水の源流である御香宮神社から、酒造りの歴史を辿る旅に出かけました。
酒の命、御香水に触れる
旅の始まりは、伏見の氏神様である御香宮(ごこうぐう)神社です。徳川家康公ゆかりの伏見城の大手門を移築したという豪壮な表門をくぐり、静謐な境内へと進みます。この神社の名は、平安時代の貞観年間(862年頃)、境内の井戸から香りの良い水が湧き出し、病を治すなどの霊験があったことに由来し、清和天皇より「御香宮」の神号を賜ったと伝えられています。
その「香りの良い水」が、現在もこんこんと湧き出す「御香水」です。環境省の「日本の名水百選」に選ばれたこの水は、伏見の酒造りには欠かせない「命の水」とされています。私も柄杓で一口いただくと、ひんやりと舌に優しく、まろやかで甘みさえ感じられるような極上の軟水です。
伏見の地下水は、桃山丘陵の地層をくぐり抜ける過程で、酒造りに適したカリウムやカルシウムなどのミネラル分を適度に含む「中硬水」に変化します。この水で仕込まれた酒は、きめ細かく、まろやかで柔らかな風味を持つことから、かつて「灘の男酒」に対して「伏見の女酒(おんなざけ)」と称されました。御香水を飲むことで、伏見酒の持つ「淡麗でなめらかな味わい」の秘密の一端に触れた気がいたしました。
御香宮神社は、酒造りの神様である松尾大神を祀る末社もあり、毎年、伏見酒造組合によって醸造安全の神事が執り行われるなど、まさにこの地の酒造りの信仰の中心地なのです。
歴史と革新が交差する酒蔵街
御香宮を後にし、アーケード商店街の真ん中あたりから南へ歩みを進めると、酒蔵が連なる歴史的な街並みに出合います。かつては水運が栄え、淀川水系を通じて京・大坂を結ぶ重要な港町として発展した伏見は、安土桃山時代に豊臣秀吉が伏見城を築城し、城下町として整備されたことから酒造業が興隆し始めました。江戸時代には、その豊富な水と京・大坂を結ぶ水運の利を背景に酒造業が発展し、明治時代には灘に次ぐ二大酒どころとしての地位を確立しました。
現在、その中心的な位置に蔵を構えているのが、寛永14年(1637年)創業という長い歴史を持つ月桂冠です。1909年(明治42年)建造の酒蔵を改修した月桂冠大倉記念館があり、伏見の酒造りの歴史を伝える貴重な場所となっています。京都市有形民俗文化財に指定されている約400点の酒造用具が工程順に展示されており、近代化以前の職人たちの手作業による酒造りの文化を垣間見ることができます。
特に印象的だったのは、伏見の酒造りの発展を牽引した月桂冠の「革新の歴史」です。明治期、杜氏の経験と勘に頼っていた酒造りを科学的な分析に基づく四季醸造へと転換するなど、伝統を守りながらも常に新しい挑戦を続けたスピリットは、日本の酒造業全体に大きな影響を与えました。
さらに歩を進めていくと、この地で長く酒造りを続けてきた蔵元の一つ、カッパのCMでおなじみの黄桜カッパカントリーが目に入ります。黄桜は、伝統を受け継ぎつつも、いち早く地ビール醸造を始めたり、カッパというユニークなキャラクターを打ち出したりと、常に革新を続けてきた酒造です。
カッパカントリーでは、酒造りの工程や歴史を楽しく学べる展示があり、また「黄桜酒場」では、伏水で仕込まれた日本酒と地ビールを味わうことができます。酒造りのベースにあるのは御香水と同じ水脈の「伏水」。伝統の水の恵みを、新しい形で発信し続ける黄桜の姿勢に、伏見の酒造りの柔軟な歴史を感じました。
水の都の象徴、松本酒造
さらに西へと進むと、今回の旅のハイライトの一つ、松本酒造が見えてきます。
登録有形文化財に指定されているこの蔵の建物は、時代劇にも度々登場する雄大なもので、まさに「水の都・伏見」の象徴的な景観を形づくっています。特に、水路に沿って建てられた蔵は、水運と酒造りが密接に結びついていた伏見の歴史を今に伝えているのです。
緑美しい土手の向こうに、板塀のコントラストが美しい蔵の姿が浮かぶ様は、時が止まったかのような美しさです。この景色を眺めていると、昔から変わらぬ清らかな水が、この地でどれほどの文化と歴史を育んできたのかが、静かに胸に迫ってきました。
御香宮で水の恵みに感謝し、月桂冠と黄桜でその多様性を知り、松本酒造で歴史の重みを実感した今回の旅。伏見の酒蔵巡りは、単なる利き酒の旅ではなく、名水「伏水」が紡ぎ出した千年の歴史と、人々の酒造りへの情熱を深く体感する旅となりました。
祇園 金瓢
伏見まで、電車を使って約30分。つくり酒屋の母屋を受け継いだ宿には、今も酒のぬくもりが。
