【2025年夏】大山詣りは、江戸時代から続く伝統的な信仰の旅です。私は、吉川醸造の銘酒「雨降」との出会いをきっかけに、この由緒ある道を辿ってみることにしました。
神奈川県伊勢原市にそびえる大山―――古来「雨降山(あふりやま)」とも呼ばれ、山岳信仰の聖地として人々の崇敬を集めてきた聖地です。標高1252メートルのこの山には、大山阿夫利神社が鎮座しています。
「雨降」と「雨降木」
「雨降」は、大山の伏流水を仕込み水として使った日本酒です。この水の一部は鈴川として、吉川醸造の酒蔵脇を潤す流れとなっており、源をたどれば、大山山頂に聳える御神木「雨降木」に到るといいます。
吉川醸造は、地元の遠州屋酒店を通じて、大山阿夫利神社に御神酒として、その恵みを返納しているそうです。
大山阿夫利神社まで
さて、そんな予備知識を胸に、残暑の都会を脱出。小田急線の伊勢原駅からバスに乗り、大山駅へと向かいます。道中、車窓から見える風景は深緑に覆われて、谷間にバスが止まると、向こうにはレトロな「こま参道」が見えます。金回りが良くなるとして人気の縁起物「大山こま」に由来する通りには、土産物店や飲食店が立ち並び、賑わっています。そこを抜けると大山ケーブル駅がありますが、大山駅から大山ケーブル駅までの標高差は約200メートルありますので、かなり息が切れてしまいました。
しかし、本番はここから。阿夫利神社駅で降りると、中腹に鎮座する大山阿夫利神社下社を参拝。社殿下に湧く霊泉「大山名水」をペットボトルに頂き、いよいよ奥社への登山道へと足を踏み入れます。ここからの標高差は550メートル。片道約1.5キロの行程です。
奥社までの道のり
登山口で御守を頂いて登り始めた大山は、予想以上に急峻で、すぐにピクニック気分は吹き飛んでしまいました。それもそのはず。ここは修験道の山なのです。そのためか、道中のところどころに信仰の欠片が散りばめられており、中には、ポッカリと丸い穴が開いた「天狗の鼻突き岩」もあります。さらには富士見台という広場もありましたが、残念ながら曇天。本来なら、正面に富士山がきれいに見えるということです。
でも、周囲を見渡す余裕があったのはそこまで。それから上は這うようにして参道をたどり、100歩進んで1分休むの繰り返し。ようやく奥社の銅鳥居を見た時には、涙がこぼれたのであります。
雨の中に見た「雨降木」
下社から1時間半かけてたどり着いた奥社は、関東平野を見下ろすように佇んでいました。しかし神前に立つと、突然雨が降り出しました。多くの登山者が社殿の庇に入り込む中、私は大きな木を見つけ、その樹陰に駆け寄ったのです。すると、その木の根元に「雨降木」の標識。それこそが神域の象徴であり、雨を呼ぶ木として古くから崇められてきたブナの木でした。
樹齢数百年とも言われるまさにこの木の根元から、清らかな流れは関東平野へと向かいます。その中に、先ほど私が零した涙の一粒もあるのです。それが時間をかけて自然の中をくぐり抜け、やがて、「雨降」という名の日本酒にとけこむはずです。
大山阿夫利神社の歴史
それにしても、さすが「雨降山」。いつまでたっても雨はやまず、小川になった登山道を駆け下ることにしました。
びしょ濡れになったものだから、ケーブルカーにもバスにも乗らず歩いていると、通り沿いには「遠州屋酒店」。立ち寄ると先客がいて、「大変だったね」と言いながら、大山阿夫利神社のことを説明してくれました。
大山阿夫利神社には、酒造の神として知られる大山祇命(おおやまつみのみこと)が祀られているそうです。この神は、富士山の神である木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の父神で、皇祖神と結ばれた姫に日本一の山を授けたのだとか。
その大山祇命が鎮座する奥社からは、縄文時代の遺物も出てきたそうです。
神社の創建は、第10代崇神天皇元年の紀元前97年。大山修験が盛んになる中で、源頼朝は太刀を奉納して武運長久を祈願したといいます。そこから木製の太刀を「納め太刀」として奉納する風習が生まれ、江戸時代には、木太刀を担いで参拝する者で賑わったといいます。
「今は登山のメッカですね」などと言いながら来た道に目を遣ると、いつの間にやら雨は上がっていました。鈴川のせせらぎが心地よく、シャツが乾くところまでバス通りを歩いてみることにしました。手に下げた四合瓶は、疲れた四肢に重すぎたけど…
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画像は上から
1)大山中腹にある大山阿夫利神社下社
2)雨降 水もと仕込純米酒 愛山(楽天市場)
3)こま参道のアーケードと土産物屋
4)山頂近くの銅鳥居
5)山頂に立つブナの御神木「雨降木」
6)大山阿夫利神社本社
7)下社社殿下に奉納された御神酒