酒の俳句|種田山頭火

種田山頭火が詠んだ酒の俳句

アルコール中毒とも言えるほどに、無類の日本酒好きだった種田山頭火。そんな山頭火に酒の俳句は多いが、酒の逸話も多い。本名の種田正一名義で、25歳時の1906年(明治39年)に山野酒造場を買い取り、1916年(大正5年)まで、父とともに酒造業を営んでいたこともある。けれども経営に失敗し、熊本に移る。熊本では、泥酔して路面電車を止めたりなどの話が伝わっている。以下に、山頭火の酒の俳句とともに名言を載せる。

  • 私は酒席に於て最も強く自己の矛盾を意識する、自我の分裂、内部の破綻をまざまざと見せつけられる。酔いたいと思う私と酔うまいとする私とが、火と水とが叫ぶように、また神と悪魔とが戦うように、私の腹のどん底で噛み合い押し合い啀み合うている。そして最後には、私の肉は虐げられ私の魂は泣き濡れて、遣瀬ない悪夢に沈んでしまうのである。(赤い壺1916年)
  • 今日は酒を慎しんだ、酒は飲むだけ不幸で、飲まないだけ幸福だ、一合の幸福は兎角一升の不幸となりがちだ。(行乞記1930年)
  • 一路を辿る、愚に返る、本然を守る—それが私に与へられた、いや残された最後の、そして唯一の生き方だ、そこに句がある、酒がある、ともいへやう。(行乞記1930年)
  • あゝ酒、酒、酒、酒ゆえに生きても来たが、こんなにもなつた、酒は悪魔か仏か、毒か薬か。(行乞記1931年)
  • 酒は涙か溜息か(行乞記1931年)
  • 私は酒を以てすべてを観る(行乞記1932年)
  • うまい酒、酔ふ酒であらねばならない、にがい酒、酔はない酒であつてはならない。(行乞記1933年)
  • 酒は目的意識的に飲んではならない、酔は自然発生的でなければならない。酔ふことは飲むことの結果であるが、いひかへれば、飲むことは酔ふことの原因であるが、酔ふことが飲むことの目的であつてはならない。何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒である。求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。悠然として山を観る、悠然として酒を味ふ、悠然として生死を明らめるのである。(行乞記1933年)
  • 飲まずにはゐられない酒はしばしば飲んではならない酒であり、飲みたくない酒でもある、飲まなければならない酒はよくない酒である。(行乞記1933年)
  • 若し酒がなかつたならば私はすでに自殺してしまつたであらう、そして若し句がなかつたならば、たとへ自殺しなかつても、私は痴呆となつてゐたであらう。(行乞記1933年)
  • 念ずれば酒も仏なり、仏も酒なり。(其中日記1933年)
  • 酒には溺れるべし、それ以上を求めるのは間違なり。(其中日記1933年)
  • 酒のために苦楽のどん底をきはめることができたのである、尊い悪魔であつたよ、酒は!(其中日記1933年)
  • 酒は三合飲むと飲みすぎて苦しくなるが。(其中日記1935年)
  • 自戒 酒について
    一、焼酎(火酒類)を飲まないこと
    一、冷酒を呷らないこと
    一、適量として三合以上飲まないこと
    一、落ちついてしづかに、温めた醇良酒を小さい酒盃で飲むこと
    一、微酔で止めて泥酔を避けること
    一、気持の良い酒であること、おのづから酔ふ酒であること
    一、後に残るやうな酒を飲まないこと(其中日記1935年)
  • 酒!あゝ酒のためだ、酒が悪いのではない、私が善くないのだ、酒に飲まれるほど弱い私よ、呪はれてあれ!(其中日記1938年)
  • 酒は悪魔か、否、酒は菩薩か、否、酒は酒である、そして時として悪魔、時として菩薩、私次第で。(其中日記1939年)
  • 酒はすゝるべし、ビールはあほるべし、それだのに私は酒をあほるのである、酒をあほるところに不幸が生まれるのである。(一草庵日記1940年)
  • 酒は一日一合、一度に三合以上、一日に五合以上は飲まないこと、酒は啜るべく味ふべく、呷らないこと、微酔以上を求めないこと。(一草庵日記1940年)
  • 酒をやめることが出来たら私はどんなにやすらかになるだらう…私には禁酒の自信が持てない、酒を飲むことが、私にあつては、生きてゐることのうるほひだから!(一草庵日記1940年)

酔うてこほろぎと寝てゐたよ
酔へなくなつたみじめさはこほろぎがなく
酒をたべてゐる山は枯れてゐる
お墓したしくお酒をそゝぐ
食べる物はあつて酔ふ物もあつて雑草の雨
おわかれの酒のんで枯草に寝ころんで
よい酒だつた草に寝ころぶ
よい酒でよい蛙でほんに久しぶり
よい宿でどちらも山で前は酒屋で
酔ざめの風のかなしく吹きぬける
雪ふれば酒買へば酒もあがつた
雪の夜は酒はおだやかに身ぬちをめぐり
ひとり雪みる酒のこぼれる
右は酒屋へみちびくみちで枯すゝき
酔うて闇夜の蟇踏むまいぞ
酒飲めば涙ながるるおろかな秋ぞ
春はたまたま客のある日の酒がある
蝉しぐれの、飲むな飲むなと熊蝉さけぶ
おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて
モシモシよい雨ですねよい酒もある待つてゐる
けさはおわかれの、あるだけのお酒をいたゞく
秋寒く酔へない酒を飲んでゐる
今日も事なし凩に酒量るのみ
寝酒したしくおいてありました
別れきてさみしい濁酒があつた
濁酒あほることもふるさとはおまつり
茶碗は北朗、徳利も酒盃も、酔ふ
燕初めて見し夕凪や酒座に侍す
しぐれへ三日月へ酒買ひに行く
さくらがちれば酒がこぼれます
あるだけの酒はよばれて別れたが
あるだけの酒飲んで別れたが
あるだけの酒のんで寝る月夜
あるだけの酒をたべ風を聴き
椿の花、お燗ができました
酒がどつさりある椿の花
酔ひたい酒で、酔へない私で、落椿
朝の酒のあたゝかさが身ぬちをめぐる
向きあつて知るも知らぬも濁酒を飲む
酒やめておだやかな雨
酒がやめられない木の芽草の芽
旅もをはりの、酒もにがくなつた
旅やけの手のさきまで酒がめぐつた
酔うほどは買へない酒をすゝるのか
酒樽洗ふ夕明り鵙がけたゝまし
蛙がうたうてゐる朝酒がある
酒がほしいゆふべのさみだれてくれ
風がはたはた窓うつに覚めて酒恋し
風のなか買へるだけの酒買うてきた
風をあるいてきて新酒いつぱい
これだけの質草はあつてうどんと酒
かどは酒屋で夾竹桃が咲きだした
独り飲みをれば夜風騒がしう家をめぐれり
もう飲むまいカタミの酒杯を撫でてゐる
朝風がながれいる朝酒がある
なんと朝酒はうまい糸瓜の花
笠は網代で、手にあるは酒徳利
何もかも捨てゝしまはう酒杯の酒がこぼれる
酒を買ふとて踏んでゆく落葉鳴ります
たまさかに飲む酒の音さびしかり
冴えかえる夜の酒も貰うてもどる
青葉のむかうからうたうてくるは酒屋さん
お祭の甘酒のあまいことも
徳利から徳利へ秋の夜の酒を
年わすれの酒盃へ蝿もきてとまる
おみやげは酒とさかなとそして蝿
青田風ふく、さげてもどるは豆腐と酒
酒と豆腐とたそがれてきて月がある
酒もなくなつたお月さんで
酒はない月しみじみ観て居り
月が酒がからだいつぱいのよろこび
月夜の水を猫が来て飲む私も飲まう
月のさやけさ酒は身ぬちをめぐる
月が酒が私ひとりの秋かよ
今日から禁酒のしぐれては晴れる空

種田山頭火ゆかりの日本酒

【山頭火】
山頭火が経営していた酒造は金光酒造が買い取り、現在では防府工場跡として残っている。その金光酒造の主力ブランドに「山頭火」がある。
【獅子の里】
山頭火の句の木版画で知られる秋山巌と、松浦酒造とのコラボレーションで生まれた純米吟醸には「酒を食べてゐる」、超辛口純米には「今日も事なし凩に酒量るのみ」の山頭火ラベルが貼られている。